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今井牧師


 「私の信条」 2012年4月30日記

  
京北教会の牧師としての、
 私の信条について、
 考えてみたことを、
 ここに記します。

  私は、ある日、
 「自分は、どんな教会、
  どんなキリスト教信仰を、
  心から求めているのか?」
  …と、考えてみました。

  しかし…。
  う〜ん…、なんともいえん…。

  なかなか答えは出ないのですが、
  ふっと思ったのは、
  私は「普通のキリスト教」、
  「普通の教会」がいい、
  そう思っているということです。

  「何々主義の〜」とか、
  「何々派の〜」とか、
  「何々に重点を置いた〜」とか、
  そういう前置きのついたものとか、
  「これぞ本物のキリスト教!」
   ……と力説する、
  力のこもった、何かの教えや主張、
  これらは、私は、少し苦手気味です。

  (もちろん、それらを学ぶこと、
  実践に活かすことは、
  大切だと思っています)

  私は、そういう特別な何か、
  ではなくて、
  普通がいいのです。

  けれども、次に考えてみると、
 「普通のキリスト教」とか、
 「普通の教会」とは、
  いったい、
  どんなものなのでしょうか? 

  これまた、言い表すのが難しいことです。
  なぜなら、普通とは何か、ということの、
  定義が難しいのです。
 
  では、結局、私は、
  どう言い表したらいいのでしょう。
  途方にくれてしまいました。

  けれども、あるとき、
  ふっと、わかりました。

  私は、何かを定義した形での、
  「普通のキリスト教」や、
  「普通の教会」が、
  好きなのではなくて…、

  「人としての普通の感覚の中に、
   深い意味を感じることのできる」
  …ような、キリスト教、
  また教会が好きなのです。

  ただただ、私は、教会において、
  キリスト教信仰において、
  人が生きることの悲しみや苦しみ、
  そして喜びや楽しみをも──

  毎日の営みの中で包みこんでくれる、
  人としての普通の日常を求めています。
  
  普通、という、かけがえのない、
  平凡な、ささやかな、ものを、
  私は、キリスト教に対して、
  教会に対して、願っています。
  
  そのことを私は自分の信条とします。
  人に押しつけるつもりは、ありません。

        京北教会 牧師  今井牧夫 

 1965年生。同志社大学神学部を卒業以降、
 神戸、愛媛、岡山において教会教師を歴任。

 この間、教会幼稚園長、短大非常勤講師、
 高校臨時講師、社会福祉法人理事など歴任。

 2006年 4月から、教会教師を続けながら、
 同志社大学神学部大学院に社会人入学、
 組織神学(宣教論)を専攻して、
 修士課程を修了。

 2008年 4月に、京北教会牧師に就任。
 現在に至る。

 メールアドレス 
 1000aikotoba※gmail.com

 (上記のアドレス表示では、
  迷惑メール防止のために、
  本当は「@」の所を「※」に代えています。
  実際に使われるときは、
  上記アドレスの「※」を「@」 に、
  置き代えてご使用ください)

 

今井牧師

 

 
  ──以下、キリスト教の神学と教会に関する追記──


 わたしたちの京北教会は、プロテスタント教会に属します。これは、キリスト教の歴史の流れでは、16世紀宗教改革によりカトリック教会から分かれた新しい教会です。

 20世紀後半、特にキリスト教系新興宗教と呼ばれる各種宗教が誕生しましたが、京北教会はそれらとは違い、伝統的なプロテスタント教会の枠にあります。

 ただし、近年のプロテスタント教会は、近代の聖書学や様々な学問研究の成果を取り入れることによって、リベラル(自由主義的)な考え方も生まれましたし、逆にファンダメンタリズム(根本主義)とも呼ばれる考え方(聖書は一字一句が事実を表すと信じる考え方)も生まれました。それ以外にも、様々なキリスト教理解が共存しています。

 そのなかで京北教会は、神学的にはことさらに特定の立場をとらず、伝統的なキリスト教信仰を大切にして(日本キリスト教団信仰告白を奉じています)、聖書中心、礼拝中心、そして一人ひとりの精神の自由を重んじる、現代日本社会のなかの独立独歩の教会として歩んでいます。

 なお、キリスト教の課題の一つとして、人権に関する考え方があります。伝統的なキリスト教思想のなかには、たとえばLGBT、性的少数者(セクシュアル・マイノリティ)などと表現される方々への差別が現にあります。他にも、民族や国籍や出身地、心身のあり方の違いなどを巡り、社会においても教会においても、それがあらわになっているかどうかは別として、差別が存在しています。

 そうした残念な現実があることを認識しつつ、私はキリスト教会において、祈りと対話をもってそうした差別を是正する方向をとりたいと考えています。そして、現代人の視点・実感を大切にして、同時に、キリスト教会の伝統に基づく敬虔な信仰の思いをもって、聖書を深く真剣に読んでいきます。

 誰もが、ありのままの自分を隠さずに、互いのあり方をことさらに特別視せず、自然な敬意をもって互いの人格を認め合い、穏やかに共にいることができる教会、そしてそのような社会でありたいと考えています。
      
        2020年5月記載 京北教会 牧師 今井牧夫



 

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