トップページ
はじめに(教会紹介)
これから(活動予告)
聖書短編(小メッセージ)
牧師紹介
あくせす
教会のブログ

  礼拝のしおり


しおり…簡単な手引き、案内、道しるべの意味です。
礼拝堂で讃美歌を歌う会衆   礼拝堂

 礼拝は「れいはい」と読みます。

 京北教会では、毎週欠かさず、
 日曜日の午前10時30分〜11時30分に、
 
礼拝のときをもっています。

 誰でも自由に参加することができます。
 毎週日曜日の出席者数は20〜40名前後です。

 多いと50〜60名と増えることもあります。
 (2014年度の平均出席者数は33名でした) 

 京北教会の礼拝は、一般的な教会の礼拝順序です。
 礼拝の最初は、オルガン演奏を聴きながら、
 黙想することから始まります。

 そして讃美歌を歌い、祈りを聴き、
 聖書を読み、牧師の説教を聴きます。

 ことば、音、沈黙、静けさ…、
 それらを通して、心が静まります。

 神を想い、また自分自身を振り返るときになります。
 神様は、こうして私たち一人ひとりの、
 人間を招いてくださっています。 

 主イエス・キリストが、
 みんなと共にいてくださる、
 今ここににおいて。

 だから、私たちの教会の礼拝にいらしてください。
 お待ちしております。

横線


 ★日曜日は、礼拝に出席したくても、
 お仕事やご家族の事情などで、
 礼拝出席が難しい方が多いかと思います。
 そうした方には、平日にも、
 聖書を共に読む機会がありますので、
 教会に遠慮無くご連絡ください。
 お待ちしています。

茶色の線

 このホームページ内の「これから」の名を付けたページに近日の礼拝予告があります。そこに、礼拝後の行事などの予定も含めて書いていますので、来られるときのご参考になさってください。

茶色の線

   〜二台のリードオルガンについて〜

礼拝堂のオルガン


初代オルガン

 京北教会の礼拝堂には、
 二台のリードオルガンを置いて、
 礼拝に用いています。

 礼拝では、毎週ほぼ交互に用いています。
 どちらも素敵な音が響きます。
 どうぞ、聞き比べてみてください!

 一台は1916〜17年頃製造の初代オルガン。
 (ヤマハ製、下右写真)
 
 もう一台は1982年に製造の二代目オルガン。
 (デルマルコ製、下左写真)

 初代オルガンは古くなって二代目を入れた後、 30年間しまっていたものを、
 2011年末に修復して使用再開したものです。  

讃美歌(主われを愛す) 教会玄関内部

 
 

       <礼拝ってなんでしょう>

 礼拝──。

 それは、どんな意味があることでしょう。

 以下に、短く記してみます。

 神様が、ごく自然に、いま、
 私たちと共にいてくださること。
 このことへの深い感謝の気持ちを、
 神様に対して表す全てのことは、
 
どんなやり方であれ、
 それ自体が一つの礼拝であると言えます。

 日常生活の中での祈りや、
 一人で聖書を読んで祈ることも、
 礼拝の一つです。

 そのように無数にある礼拝の中で、
 私たちが意識して
 はっきりとした形を作り、
 一人でなくみんなで、
「式」として行うものが、
「聖日(せいじつ)礼拝」です。

 この礼拝を、私たちは、
 聖書で「主の日」と呼ばれている日曜日に、
 実施しています。

 それは、決めた時間にみんなで集まり、
 感謝して神様を仰ぎ、
 自分を振り返るときです。

 そして、自分が、
 今まで、どれだけ悪いことをしてきたかとか、
 あるいは、どれだけ善いことをしてきたかとか、
 そういうこと
には、一切左右されずに、
 ただ「神様の慈しみ」にのみ根拠がある、
 永遠の恵みを、
 みんなで一緒に受けるときです。

  この礼拝から、神様の見守りのもとで、
 自分と他者のために平和を願い、
 普段の生活を充実させる力が生まれてきます。

 このような礼拝は、
 聖書と教会の伝統に基づいており、
 主イエス・キリストがいま共におられ、
 全てのことを導いてくださると信じて、
 毎週しているものです。

 初めて、あるいは久しぶりに、
 来られる皆様を歓迎いたします。
 究極のことをいえば、礼拝には、
 人間的な理屈はいらないはずです。
 神様の御心が全てを安全に保証して、
 私たちを招いてくださいます。

 穏やかで暖かな心で人を受け入れる、
 静かで落ち着いた京北教会の礼拝。
 この時間を、理屈抜きに味わってください。

  そして、もしできれば、讃美歌を歌うことや、
  聖書を読むことや、説教を聞くことを、
  みんなと共に “楽しむ” ような気持ちで、
  来ていただければ幸いです。

 

茶色の線

<京北教会の礼拝順序>

オルガン前奏  讃美歌 交読詩編 使徒信条の朗読 讃美歌 司式者の祈り 聖書朗読 讃美歌

説教 説教者の祈り 讃美歌 献金 主の祈り 報告 讃美歌 説教者からの祝福 オルガン後奏

(礼拝全体で約1時間。その後に集会室に移ってお茶をします)

茶色の線

★京北教会では、聖書は「新共同訳」、讃美歌は「讃美歌21」を用いています。日本の多くの教会で用いられ、一般の書店でも手に入ることが多いものです。教会には礼拝堂内の棚に、十分な冊数を備え付けていますので、どうぞご利用ください。

★礼拝や教会のこと全般についてのお尋ねやお申し出は、牧師や、礼拝の受付に遠慮無くお尋ねください。お申し出があれば、礼拝の案内をしてくださる教会員に隣に座っていただき、聖書や讃美歌のページを開けてもらうことも可能です。

★礼拝にご出席されるにあたり、お体の事情やその他何かのことで配慮や支援などの必要があれば、教会として、お一人お一人に合った対応を検討させていただきますので、ご遠慮なく牧師や受付に申し出てください。

★礼拝の終わり近くに、神様への感謝を形にして示す「献金」のときがあります。額の大小に関わらず心をこめて献げてくだされば幸いです。教会の維持は献金だけによります。その中でできる範囲での無理のかからない教会の活動をしております。
 
★献金をしたくない、あるいは献金の意味がわからない、また何かの事情で献金が不可能、そういった場合のときは、献金する必要は一切ありません。その場合は、礼拝の中で、献金を受ける当番の方が礼拝堂をまわって自分の席にこられたときに、軽く頭を下げて会釈していただければ、それで了解いたします。お気がねはなさらずに。




   ★礼拝について、聖書から知ること★

 「霊で祈り、
  理性でも祈ることにしましょう。
  霊で讃美し、
  理性でも讃美することにしましょう。」
  (聖書 コリントの信徒への手紙1 14章15節)

 神様を信じて生きるためには、自分だけが満足して生きるのではなく、様々に考えの違う人たちと理解しあって、共に一つの世界の中で一緒に生きる必要があります。

 そうでなければ、神様の望まれる平和の中で生きることができないからです。

 そのために、使徒パウロは礼拝を大切にしました。

 人間は、お互いの知恵や力によるのではなく、ただ神様の愛によって受け入れられることによって、共に生きる力が与えられると信じていたからです。

 この箇所の中で、使徒パウロが、「霊」と言う言葉で表現しているものは、言葉にすることのできない、一人ひとりの人間の深いところにある力です。

 それと共に人間は、「理性」の力によって、つまり言葉に表現することによって、祈ること、話すこと、歌うこと等ができます。

 この二つの力の、どちらも大切にすることが、人間にとって大切なのだと、この聖書の言葉が語りかけています。

  神様は、私たちの、「言葉にならない」思いも、「言葉になる」思いも、どちらも、限りの無い大きな愛の心の中で受けとめてくださるのです。

 この神の愛によって、礼拝は、私たちの思いが神様によって受けとめられて、神様との関係がまっすぐに、正しい関係へと導いていただくときとなります。

 その礼拝を、互いに大切にして共に守っていくのが、教会です。教会は、イエス・キリストの恵みを通じて、礼拝をしながら、今日まで歩んできました。

 そして一人また一人と、新しい方が来られ続けています。教会は、礼拝によって、昔も今も、変わりなく役割を果たし続けています。

 きっと、あなたの深いところにある気持ちとも響き合うようにして。



茶色の線


聖餐のグラス 聖餐式のパンとぶどう果汁

★<聖餐式について>


 京北教会では、年に 5回、教会の暦に従って、日曜日の礼拝の中で、短い時間、聖餐(せいさん)式をいたします。

 聖餐式は、イエス・キリストのことを、聖書の中では普通の食事であるパンとワインにたとえて、それを祈りのもとでいただく式です。

(京北教会では、ワインではなくブドウ果汁を用います)


 聖餐式の意味は、教会がイエス・キリストにあって一つであり、その恵みに皆であずかることです。恵みとは、イエス・キリストが私たちの日常生活の中に、ともにいてくださることであり、それを願い、信じて祈るときです。

 聖餐式のパンとブドウ果汁をお渡しして食していただくのは、すでに洗礼を受けておられる方(他教派・他教会の方も含めて)に限らせていただいています 。

 これは、聖餐式においては、受ける一人ひとりに、ご自分の中にイエス・キリストを受け入れることの意味をしっかり自覚的にかみしめて受けていただきたいという、京北教会としての願いに基づく実施の仕方です。

 まだ洗礼をお受けでない方には、上記の理由でパンとブドウ果汁をとっていただくことができません。お受けでない方は、聖餐式のときを、将来の信仰への招きが示されているときとして、式の言葉に耳を傾けながら黙想するときとしていただきますようにとお願いをいたします。

 聖餐式はそう長い時間ではありませんので、洗礼を受けている方もそうでない方も、共に神様の手の中にあって、各人それぞれに自分を振り返りながら過ごすときとして、一緒になってこのときを過ごしたいと願っています。

★<洗礼式について>

 洗礼式は、神を信じる信仰を、イエス・キリストに助けていただいて表す式です。

 そのときには、礼拝の中で頭に少しの水を司式者がかけて祈り、罪のゆるしと新しい人生への出発を教会のみんなで祝福します。

 教会で言う罪とは、いわゆる悪事や犯罪のことではなく、神様と人間との関係がまっすぐではなく的外れの状態になっていることを指します。

 この関係は人間の自己中心なあり方から生まれます。そのことを神様にゆるしていただき、悔い改めて、そのままの自分を神様に受け入れていただき、新たに生きていくことの恵みを信じる信仰を、教会は世に広めています。

 神への信仰は、自分の力で到達する信念のことではなく、ただ神様から与えられた心の中の深みです。

 教会では、その信仰に至る道として、イエス・キリストを、神による救いの主であると信じます。それは、他の考え方を排除する狭くてかたくなな気持ちに陥ることではなく、ただ神様からのプレゼントとしてイエス・キリストの福音(良い知らせ)を受け入れていく、おおらかな考え方です。

 洗礼は、神様を信じる教会の一人となって、新しく自分自身のかけがえのない人生を生きていく第一歩です。そして、この第一歩は、誰にでもいつでも開かれています。

 ただ、洗礼にあずかるためには、信仰の学びのために事前に準備のための期間を持つことが基本であることをご了解願います。

 洗礼を受けることの相談や、まだその気持ちにならなくても信仰について色々とご質問したいことがある場合は、いつでも牧師に声をかけてください。お応えさせていただきます。

★毎回の礼拝や、教会の行事は、洗礼を受けていてもいなくても関係なく、どなたも自由にいつでも参加できますし、またそのようにしてどんどん来ていただくことを教会としてお願いしています。どうぞお気兼ねなく京北教会にいらしてください!

 

茶色の線



京北教会の信仰──「日本基督教団信仰告白」について

 わたしたちの京北教会は、キリスト教信仰の理解を示す規範として、以下の「日本基督(キリスト)教団信仰告白」を用いており、洗礼式、転入会式のときに礼拝のなかで朗読します。それは、この信仰告白の内容を他者に押しつけるためではなく、昔から教会で大事にされてきた言葉に沿って、現代のわたしたちの信仰を豊かに言い表すためです。伝統的な言葉使いは、言わば、信仰を入れる「うつわ」の役目を果たします。その「うつわ」のなかに、皆様一人ひとりの御自分の思いを注いで、神様に向けて感謝して献げましょう。

 以下の「日本基督教団信仰告白」は、京北教会における朗読用に、また、学習用として意味をとりやすくするために、内容を段落別にし、現代仮名遣いにし、注釈を入れるなど工夫をしていますが、内容は正本(原文)と全く同一です。

 下の画像をパソコン上にコピーしてからクリックしていただくと拡大表示され、プリントして自由にお用いいただけます。

 

教団信仰告白

 

 

このページのトップに戻る